- JLogos検索辞書>
- 牧(中世)とは
「牧(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
牧(中世) 南北朝期から見える地名摂津国豊島【てしま】郡のうち貞和5年11月日の鳥居造立条々注文(勝尾寺文書/箕面市史史料編2)に「〈牧〉一貫文 弥九郎」とあるのが初見で,勝尾寺の鳥居造立に際して当地の弥九郎なる者が馬引代参として1貫文を寺家に納めているその後「温泉行記」(高槻市史3)宝徳4年条には「従此西行赴箕面云……過粟生・小野原・萱野・牧,遂到瀬河」と見えるこれは京都から摂津の有馬温泉に向かった際の文章で,これによると当地は山陽道沿いにあり,粟生の西,瀬川宿よりは東に位置し,現在の箕面【みのお】市域内にあったと考えてよいまた「忠富王社参記」(西宮市史4)延徳2年10月26日条の中にも「小野原ニテ参会,マキ辺ニテ時雨……瀬河宿ニテ御輿ヲ立」とあって,山陽道を東から西へ向かう瀬川宿の手前にあったことがわかる比定地は現在の箕面市牧落・西小路を中心とするあたりと推定されるなお,江戸期には平尾村・桜村・牧落村・西小路村の4か村に分かれたと伝えられる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧(中世) 室町期から見える地名石河荘のうち応永11年頃と推定される仙道国人一揆傘連判(秋田藩家蔵白川文書/県史1)に「牧□源盛光」と見えるこの一揆は,伊達・蘆名・結城白川等の大領主に対抗するために,仙道地方の中小国人層が連合したもので,ここに牧の領主として見える源盛光は源姓を名乗り,実名に光の字を用いていることから,石川地方を領した石川氏の一族と思われる文禄3年の蒲生高目録には「下□槇□四百九十二石五斗二舛□買」とあり,江戸期には内槇村と外槇村が見える中通り中部,現在の石川町字外槇付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牧(中世) 室町期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」